 | 『愛の賛歌』や『バラ色の人生』をはじめ数々の名曲で知られる伝説のシャンソン歌手、エディット・ピアフの偉大な足跡と、歌と愛に生きた47年間の波瀾万丈の生涯を綴る感動の伝記ドラマです。劇中で歌われた歌のほとんどは、実際にピアフ本人の音源から使用されているそうです、でもマリオンの口パクも上手かったです。 19歳から47歳までのピアフを見事に演じきったマリオン・コティヤールは、一躍絶賛を浴びフランス本国では観客動員数が500万人を超す大ヒットとなって、セザール賞の5部門を受賞。各方面から多くの賛辞が寄せられ、第80回アカデミー賞でも、やはりコティヤールの主演女優賞を含む2部門に輝きましたものね。 監督は「クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち」のオリヴィエ・ダアン、共演にジェラール・ドパルデューにエマニュエル・セニエ、シルヴィー・テステューなど。
1915年、フランス・パリの貧しい家庭に生まれたエディット・ジョヴァンナ・ガション(マリオン・コティヤール)。母は路上で歌を歌い、日銭を稼ぐ毎日だった。その後、祖母が経営する娼館に預けられた彼女は、娼婦ティティーヌ(エマニュエル・セニエ)たちに可愛がられ束の間の安らぎを得る。やがて兵役から戻った父に引き取られると、路上で大道芸をする父の手伝いをする中で、自らも人前で歌うことを覚えるのだった。そして1935年、路上で歌を歌い日銭を稼いでいた彼女は、パリ市内の名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)にスカウトされ大きな転機を迎えた。ルプレによってピアフと名付けられた彼女は、歌手としてデビューするや、瞬く間にスターダムへと駆け上っていくのだったが…。
第80回のアカデミー主演女優賞にマリオン・コティヤールが、見事に輝いた伝説のシャンソン歌手のエディット・ピアフの、47年という短い生涯を閉じた彼女の知られざる愛と哀しみに迫ります、『愛の賛歌』『バラ色の人生』など数々のヒット曲とともに綴っていました。 マリオン・コティヤール演じるピアフが劇場で倒れるシーンから映画は始まります、母に捨てられて父のルイとノルマンディーでルイの母の娼館で娼婦のエマニュエル・セニエ演じるティティーヌ達に育てられます。 父の除隊でティティーヌ達と引き離されてしまいま、父はサーカスを辞めてしまいフランスで大道芸をしてなんとか暮らしていきますが、ある日観客から促されて歌を歌ったエディットは歌うことに目覚め、エディットは街角で歌うようになります・・・。 とにかくマリオン・コティヤールの演技が素晴らしいです、メイクのおかげだとは思いますがエディット・ピアフになりきっていて、少女時代の可愛らしいエディット・ピアフから年齢を重ねたエディット・ピアフを、マリオン・コティヤールとはとても思えないメイクで見事にこなしていました。 エディットの現在と昔の話が交錯するようなつくりになっていますが、複雑になり過ぎていたきらいがあったのでもう少し分かりやすくしたら良かったと思いましたが、妻子あるマルセルというボクサーと恋仲になりますが飛行機事故で亡くしたり、エディット・ピアフの波乱に満ちた人生を描いていました。 ティティーヌ達娼館の娼婦達の献身的な介護のおかげでエディットは失明の危機を乗り越えます、そのおかげで大きくなっても聖テレーズを崇めていたり、だからなのか幼い頃に自分を捨てた母親を許さずにいたりします。 最初のエディットの芸名がラ・モーム・ピアフ(ラ・モームは子スズメ)だったのも初めて知りました、普通これだけの大物のお話しだと若い時は真面目で言うことを聞いて、売れてくるとワガママですがエディット・ピアフの場合は若い頃からワガママだったんですね。 レーマンというプロのプロデューサーに『ワガママ娘』と言われて鍛えられたおかげで、デビューして大成功したのですがその後はそのおかげで舞台が大好きになり、愛と舞台に生きるようになります。 エディット・ピアフを見出すルブレ役でジェラール・ドパルデューが出ていたり、ポランスキー監督の奥様のエマニュエル・セニエがティティーヌ役で出ていたりして豪華でした。マレーネ・デートリッヒやマーロン・ブランド、チャップリンらに愛されエディットも色々ありましたね。 しかしこういう”偉人”と呼ばれる人々って、大体波乱万丈な生活を送っていますよね。 マリオン・コティヤールの演技はオスカーの名に恥じない素晴らしいモノでした、映画としても十分にエディット・ピアフの人生を理解出来る仕上がりでした、ちょっとスムーズではないと思える所もありましたがお勧めします。 |